転載: ゼルダの伝説 時のオカリナ / 任天堂

ゼルダの伝説 時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

ゲームのビジュアルは記号でいい(WizとかNetHackみたいな)、想像力こそが体験を盛り上げる。3Dのゲームなんか不自由な事が増えるだけだ。

ゲームに関してはオールドスクーラーな俺は常々そう思っていた。だから弟がプレステを買ってきても、俺は「ビブリボン」くらいしか遊ばなかった。

だが、大好きな「ゼルダ」がもう5年以上も前に3D化されている。その事はずっと気になっていた。3Dのゼルダを気にしながら、ゼルダの伝説1 のマップを作ったり、カプコンとダブルネームで出たゲームボーイ版を発売日に購入して解いたりしていた。

だがある日、ひょんな事からN64本体とソフト数本を貰ってしまった。そのソフトの中にはずっと気にしながらも手を出せなかった「時のオカリナ」が混じっていた。セットでこれらをくれた先輩が家に帰ると、ごく自然に、ちょっと覗いてみるかくらいの感覚で俺はゼルダを起動していた。

初めて覗く 3Dの世界…視野が狭い。最初はどこに移動していいのか、何をしていいのかさっぱりわからないまま、恐怖の連続。死角から敵が襲ってくる。大体ビジュアルがグロい。おいおい2D版にあんなグロい敵いなかったじゃないか怖いよ。うっかりTVがステレオに繋がっているので、死角の敵のたてる物音がもの凄い臨場感。ちびる。

と、文句たらたら、嫌がりながらゲームを進める。が、ハマった。ゼルダ以外のソフトは全く起動する機会がなかった。どの辺りでハマり出したかは良くわからない。が、会社から帰って晩飯食いながらゲーム初めて、明け方に眠る日々。
そんな生活を一週間も続けると俺の体に変化が現れた。ゲームの3D世界の身体感覚が、現実の体の身体感覚を蝕み始めたのだ。

コンビニで棚を見かけては、「この高さならよじ上れるな」(これより高いと無理だけど)屋外で溝をみかけると「この距離なら3Dスティック上で飛び越せる。連続で」辺りを見回すときは頭の中でRボタンを押している。
この感覚が気持ちいい。病み付きになる。3D世界の想像力は、浸食した身体感覚を通じてゲームをしていない時に発揮される。今までと変わらない筈の町中で、世界がハイラルになり俺はリンクの様に走っている。

この感覚に近いのは、一日中スケートをした日、一日中泳いだ日、一日中車を運転した日、入眠前の一瞬に体がスケート、水泳、運転の身体感覚だけをありありと思い出して、思わず体がぴくっと動いてしまった時の、あの心地よいバーチャル感。
その感覚がずっとずっと続く感じ。
後戻りできない感覚を味わってしまった。

bibio.org に2005年に書いた文章の転載)